人の世は夢のごとし

女子大生です。よく変わっているねと言われます。

退職

お久しぶりです。

 

久しぶりにブログ書きたくなって戻ってきました。

 

先日、新卒で入った会社を退職しました。

今流行りのコンサル会社(ベンチャー)でした。

 

退職のきっかけは、

一番きついPJに入ってみると、ドヨーンと暗い雰囲気がすごくて、なんか…皆大丈夫??と思ってしまうようになったから。

自分が働き続けた先はこの人たちみたいになるのか、と思うとここじゃない感。

なんか、霊感ないはずなんだけどなんとなく皆取り憑かれているような空気^^;

 

新卒で入った理由は

コンサルティング会社の実際の業務について知りたい」、「IT/WEB系の会社がいい」だったから、なんとなくって感じだったんだけど、

 

コンサルでずっといられる人ってある意味限られているような気がする。

あと、コンサルって本物以外不要だなと。

DXとか色々言ってるけど、そういうのはホリエモンみたいなガチの人に任せるものであって素人が手を出すべきじゃない。

資料作成して成果物として納品することに価値あるのか???

 

私は実際に考えを行動に移して結果が出て初めて成果があったと思うから、

責任は取らないコンサルに「価値」なんかあるのか??と。

 

あとエンジニアやってた人が力試しとしてコンサルに行くとか

事業してた人がコンサルに行くとかはわかるけど、

そうじゃない人が行くのは微妙かもな。。。

 

結局実際に自分で手を動かした経験が一番強いのだと。

だからコンサルなんかに行くよりも、

実際にコード書くなり、事業するなり、資格とるなりする方が有意義なのかもしれないな。

その実務経験を積んで、最終的にコンサル(アドバイザリー)になるのはアリかもしれないけど。

 

 

あとクライアントワークはかなりハードだけど、それも本物が増えるとマシになるのでは??と。

 

うちの会社の話でいうと、

そもそも組織としての土台ができていなかった。

現場を見ていない社長が暴走し、漂う社員の疲労感、余裕のなさ、暗い雰囲気。

誰もが自分のことばかりで思いやりがない。

マネジメントができていない。そして社長の周りはイエスマンしかいない。

もうオワコンだった。

 

 

ここにいても私のキャリアは伸びない、もっと楽しく働きたいと判断し、退職を決意。

退職してからは休みながら転職活動を始め、胃腸炎も治ってきた。

 

 

だがしかし、たまに激務PJの光景がフラッシュバックし、しんどくなったりする。

そんな環境から自分の意思で抜け出した自分を褒めるとともに、

残された社員は大丈夫なのかと心配になる。

 

社長とともに沈みゆく船。

経営幹部は前ファームの上司などフリーランス契約のため無傷だが、

若い社員に未来はない、やりがい搾取。

 

私にはそれが、

「年上には助けられ、年下を犠牲にし養分にしている」構図に見えてしまった。

 

これからの時代は、若者はいかに自己犠牲せずに人生を歩めるかが大事だと思う。

上に従う時代ではなく、上が若い世代をサポートする時代なんだと。

若者に能力を発揮してもらうためにサポート体制が整っている会社に入ったり、

そういう人と付き合うのがいい。

年上だからと偉そうに威張るやつは老害。フラットに接してくれる人が良い。

 

GWはゆっくり過ごして自分の内面と向き合いながら、次の仕事考えよー。

お疲れ様でした。

 

 

 

 

 

 

 

女であること

先日、上京しました〜。

一人暮らしやっと慣れてきたー。

 

一人暮らしだと自分の生き方をすごく考えるようになる。

 

 

 

今は自粛ムードだし、本読んで自分はどういう方向性を目指していくのかを考えたりしてる。

自分は最近男の方が生きやすいんじゃないかと思う。

 

自分が女であるから、もっと複雑になる感じがする。

 

 

 

私は幼い頃から自分は何ができるのかを考えてきた。なんでもチャレンジしてきた。

その中で勉強は割と得意な方でこの道に進んできた。

 

で、そこから就職でまた自分の道を考えることが多くなって最近やっとわかった。

 

 

 

自分は経営者を目指そうかと思うようになった。そう思うまでは女性である自分を意識して中々考えることができなかった。

 

 

でも、一人でずっと考えてきて、

自分はこの道しかないような気がした。

 

女であり、女としての幸せを得ながらこの道をうまく渡っていくことができるのか。

 

 

前例もないし、すごく不安だしこの道を考えないようにしていた。

 

 

しかし、私の場合はエネルギーが有り余りすぎてこれを恋愛にぶつけてしまうと相手の負担になってしまうと感じた。

人より求めすぎてしまってお互いが潰れてしまう気がする。

 

 

だから、自分はやっぱり社会に打ち出す方向で頑張っていこうと思った。

そのために今は少しでもつながる選択をしている。

 

 

人生は常に選択の連続で、自分の気持ちに従うしかない。

人に嫌なことをされたら今後は近づかない。

少しでも違うかなと思うと違う道を選ぶ。

 

 

世の中ではなく自分の感性を信じて、常に最善の選択をして生きていこうと思う。

自分の気持ちに嘘をつかずに。

 

女としての消費

共学と女子校を経験してから、女の子としてのあり方と人としてのあり方を身につけた。

 

共学時代は可愛くて清楚でおとなしい感じで過ごしてたけど、

女子校時代は目的思考で勉強と遊びの両立で過ごしていた。

 

この違いは結構大きくて、特に共学は女である自分を認識して過ごす人が多いように思う。女子校では自立心が芽生えるため自分のまま過ごした。

 

そう思うと、男のために女らしく生きるのはどうなんだろうと思う。

だから若い頃はパパ活などをしている人はその女を使って稼いでいると思うが、ある程度でセーブして得た収入は貯金したりしないと、結局は何も残らない。

 

女としての消費はすぐ稼げるけど、ずっと続くわけではない。

女としての慎ましい生き方は結婚はできても、その先を保証してもらえるものでもない。

 

これに早めに気づいておかないと結構大変。

 

時間は自分にプラスになることに使うべきだと思う。

男に接待するなら、そこから投資や株について勉強させてもらったりしないとただ消費されて終わる。

 

パパ活女子、港区女子はそこに気づいているのだろうか。。。。

 利用しているようでされている。。

 

男からの目線だけで生きるんじゃなくて、人として生きれる女性が魅力的だと思う。自分に投資を。

 

 

 

 

時代遅れの父親

今日から単身赴任の父親が三日間帰ってくる。

できるだけ避けていこうと思う。

 

そもそも避けるしか方法がない理由としては、

子供が意見を言うことを許さないタイプの親だからだ。

 

立場もあり、自分が正しいから言うことを聞けという態度で接してくる。昔は養ってあげてる、家を出ていけもよく言われた。

 

でもそれって時代遅れだし、おかしくない?と思う。

 

自分のいうこと聞かないなら、ちゃんと話して説得させたらいいのに、

それができないから強制的にそうさせる悪魔みたいなものだよね。

気が小さくて弱い男だなぁとがっかりする。

 

 

家族といえども別の人格、答えが同じなわけないんだよなぁ。

父にはAがよくても私にはBがよかったりする。

 

父親が長い間単身赴任してる間に子供は成長して、父親の中では子供のまま時が止まってるんだろうな。

 

だから今でも自分の考えは正しいという感じで主張してくるけど、

めんどくさいからスルーしてる。

いつも狭い価値観の中でこの人は生きているんだなぁと思う。

 

どんな時も対等に話し合いができない人は相手にしない方がいいなぁと思う。

経験の浅さから、話が伝わらない人も諦めて無難な話題振るようにしてる。

 

 

そう思うと若いうちに守りに入らずに、沢山挑戦して失敗してきた人はどんどん世界が広がるし、生きやすくなると思う。

周りにもそういう人が沢山寄ってくるし、楽しいと思う。

 

 

私も父親を反面教師にして若いうちに沢山挑戦して経験を積もうと思う。

 

 

 

本質

最近ネットニュース見てると、どんどん本質主義になっているなと。。

これからは本当にそんな時代になる気がする。

 

今までは教師とかもオールマイティーにできて初めてなれたけど、

今後は英語教師は英語が、数学教師は数学が抜きんでている人を採用するような流れになると思う。

 

そう思うと、大学の意味とかも変わってくるかも。

大学は今まで見たいな競争より自分のやりたいことにフォーカスした大学選びが大事だな。まぁ、大学入ってから自主的に活動して自分で身につけるのもいいと思うけど。

 

日本はガワでしか判断できない人が多いけどそれじゃもう駄目なんだと思う。

 

自分は何がしたい?何が得意?どうしたら幸せ?

答えを自分の中に探して、そこからでてきたものに絞ってスキルアップしていかないと今後自分を見失う気がする。

 

それは自分の直感を信じることと事前情報をなるべく沢山取り入れることが大事だと思う。

 

就活してた時すごく思ったけど、

8割は嘘つきゲームに参加し、2割は本音で話してる感じがした。

でもその8割の人って入ってから悩んでる人多い。

自分と向き合わないとね。すごく辛いことだけど。

 

就活前と就活後に自分の仕事に対する考え方大きく変わった。

就活前は受験と同じように考えてたから、大手企業とかばかり見てたけど、インターン参加したりしていくうちに、大手にいても私は私でしかないと実感した。

就活後は、仕事は経験とお金という見方をするようになった。

自分の興味のあるスキルを使ってそこで得られる経験と生きていくためのお金がもらえる場所。

 

 

今の自分にとって仕事は自分が幸せに生きるための一部でしかない。

だから、興味がある仕事や楽しいと感じる仕事に目が向くようになった。

会社員もひとつの選択肢であるという見方ができるようになった。

上も下もないんだと思った。小さい会社でもその人に合えばいい会社。

社会的に利用価値があれば見捨てられることはない。

思ってた以上に選択肢は沢山あって、肩の荷が下りた。

 

でもずっとエリートコースを歩んできた人はこの感覚がなくて、

大変なんだろうな。でも降りてしまえば自由に生きられる。

 

自分の選択肢が広がると思ってエリートコースにきたのに

それが結局自分の首を締めていることに気づかない。

気づいても降りられないというジレンマ。

 

大企業に入っても結局細分化された仕事をやる駒でしかない自分より

自分のスキルを活かせる仕事に就いたほうが幸せだし、自分の人生生きてると感じられると思う。

 

自分があっての人生だからな。

会社は自分の人生を楽しくする一部でしかない。

本質を見落とさず、自分に集中して生きる。

 

 

 

 

 

 

 

真逆の姉妹

昨日は夜中に妹がメソメソしてたから話を聞いた。

春から大学受験生で、焦っていた。勉強しても一向に成績が上がらないと言っていた。

それから、姉である私の時は家族が注目していたのに自分の時は誰も期待していないからか無関心だと言っていた。

 

 

妹から見たら、そう見えているのかと思った。

確かに、私はそこそこ勉強の才能はあった。だけど自分の場合は受験競争に巻き込まれ自分の意思が見えなくなり、別の学校にいった。

 

 

妹は自分の意思があるのに勉強の才能がなく、行きたいのにいけないというジレンマを抱えていた。

 

 

私は親に放っておいてほしいタイプなのに構われ、妹は親に構ってほしいタイプなのに放っておかれていた。

その為、私は自分の意思を見失ったし、妹は期待されていないという劣等感を感じていた。

 

 

私はいつも妹が羨ましかった。何も言われずに自由にいて愛されていることが。私は条件付きの愛情しかもらえていないように感じていたから。お姉ちゃんだからとか、勉強しないと怒られたりするのが苦痛だった。

 

 

でも妹は、姉のように勉強できず、放っておかれることで、誰からも期待されず、応援されてないという劣等感を感じていた。今も確かに私の時より親が無関心なのが辛いだろうなと思う。

 

自由でありたい姉と目を向けてほしい妹

 

こんなにも真逆でお互いが苦しんでいることを親は知らないし、

言っても伝わらないだろう。(想像力に欠ける親だから)

 

 

長女だから、末っ子だから、とかではなく、

ちゃんと子供を見て教育するべきだと思う。

外側ではなく本質を見て接してあげるべきだと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

モラハラ

昨日、夜中にまた父親からモラハラのようなメールが来た。

母親に話すと、酔っ払ってるから放っておくように言われたが、

 

なぜ私にだけモラハラメールを長年送り続けているのだろうか。

そもそもなぜそのようなメールを送る心理になるのだろうか。

 

自分の子供にそのようなメールを送るなんて自分は考えられないが、なんでそんな人間に父親はなったんだろうか。

 

モラハラをするような人は、気が小さく、外では出せないことを家でしたがる人が多いように思う。そして妻や子供など管理下においてモラハラをする。

だから女性は特に自立が大事だと思う。男にもたれかかることなく自立すれば、別れることができる。

 

母親と妹にはあまりしないが、私にする理由は一番いいなりになってくれないからだと思う。私は自分の意思があるから父親の意見は参考程度にしか聞かないし、そもそも性別が違うから生き方も違う。

 

私は自分で考え、自分の人生を生きている。

父親とは話し合うことができない。父親は人の意見を聞かない典型的なモラハラ。常に自分に賛同してほしいタイプの人間だ。

 

もう連絡先は消したし、老後も知らない。

この人がしたことは全て自分に帰ってくる。

 

人はやったことは自分に帰ってくる。

父親が将来孤独な老後を送ることも想像できる。

 

その時この人は何を思うのだろうか。

死ぬ時にこの人は何を思うのだろうか。